プロフィール

横浜市会議員 望月やすひろ

平成27年4月の統一地方選挙におきまして、3期目の当選をさせていただきました。初当選時の所信を忘れることなく、「信念」「忍耐」「誠実」を信条として「行動第一」「現場第一」で横浜市政に全力で取り組んでまいります。

所属委員会 平成28年度
・常任委員会:国際・経済・港湾 委員
・特別委員会:孤立を防ぐ地域づくり 委員
・市会運営委員会:副委員長
党役職 港北支部・支部長
モットー 誠実、一人の声を大切に
趣味 読書(ノンフィクション・自己啓発書・歴史小説)
音楽鑑賞(ロック70年代もの、ポップス、ジャズ)
家族 妻と3人の娘の5人家族

幼少期

幼少期

昭和36年1月6日 静岡県静岡市に望月家の長男として誕生。
生家は「メイン美容室」を経営。美容室の独特の匂いの中で育ち、常にお弟子さんが住み込みで同居している環境でした。
昭和40年 賤機(しずはた)幼稚園入園。
実は、ここで妻と初めての出会いがありました。つまり、妻とは幼馴染の仲です。しかし、このころから好きだった?わけではありません。お付き合いが始まったのは20年後の昭和60年です。

小学生時代

小学生時代

昭和48年3月 静岡市立井ノ宮小学校卒業。
この学校は大変、水泳に力を入れていて、夏は毎日プールで泳いでいました。
クロール50m・平泳ぎ50m・背泳ぎ25m・バタフライ25m・潜水10mができるまでになっていました。また、運動会のリレー選手でもあり、小学校時代は、スポーツマンでした。5・6年で妻と同じクラスメイトに。
静岡市は雪が降らないところで、自分の記憶の中でも中学2年の時に一度、3センチほど雪が積もったことがありました。そのくらい雪が珍しいので、雪見遠足がありました。
昭和51年3月 静岡市立籠上中学校卒業。
中学生時代は、バレーボール部に所属。セッターをつとめました。市大会3位が最高成績。頭は五分刈坊主で3年間過ごしました。

高校時代

高校時代

昭和54年3月 静岡県立静岡東高等学校卒業。
高校1年のとき、剣道部に所属。2年からワンダーフォーゲル部に所属。八ヶ岳の冬山登山や、夏の甲斐駒ケ岳から仙丈ケ岳の縦走が思い出されます。夏の高校総体も筆記テストがありましたし、テントの張り方からカレーの作り方、砂袋を背負っての目的地までの時間を競ったりしてました。また、洋楽にもはまり、ロックバンドのキッスやクィーンやレッドツェッペリン、イーグルスが好きでした。でも一番好きだったアルバムは、ピーター・フランプトンのフランプトン・カムズアライブという2枚組みのライブアルバム。擦り切れるほど聞きました。

大学時代

大学時代

昭和58年3月 国立宇都宮大学農学部農芸化学科卒業。
将来は食糧危機の時代がやってくる。農学部へ進もう!農学部を選んだ理由は、こんな単純な発想でした。大学生活で一番驚いたのが、望月姓が大学で一人しかいなかったこと。静岡では、望月姓は、鈴木・佐藤と並んで大変に多く、そのため、姓で友達から呼ばれることはありませんでした。ところが、望月っていい苗字だとか、月がつくとかっこいいなどと言われたからです。宇都宮は気温差が激しくて、夏は雷が発生しやすく、工学部に雷研究室がありました。昼ごろから空は真っ暗になり雷が構内に落ちることが数知れずありました。

会社員時代

会社員時代

会社員時代

昭和58年4月 株式会社ロッテ入社
中央研究所チューインガム研究室配属。研究所配属となって研修後、行きたい研究室を3つ提示しました。第一希望:ビスケット研究室、第2希望:チョコレート研究室、そして第3希望がチューインガム研究室でしたが、この3番目に希望した研究室に配属となり、そこから23年間に渡るチューインガム人生が始まりました。
平成元年6月 ワーナー・ランバート株式会社(現キャドバリー・ジャパン株式会社)入社。
引き続き、チューインガム製品開発に従事。外資系の製菓会社でもあり、海外出張も多く、英語に苦労しながらも多くの製品を作り、世に送り出して参りました。M&Aで会社名が変わりながらも18年をチューインガムとともに人生を歩んでまいりました。10カ国にわたり海外出張をしてきた中で、一番大好きな街は、アイルランドのダブリンです。首都でありながら小さな素朴な街。人間味あふれる港町は、日本と通じるところが多いような気がしてなりません。
平成18年11月 キャドバリー・ジャパン株式会社退社
平成19年4月 横浜市会議員初当選
平成23年4月 横浜市会議員2期目当選

公明党横浜市会議員団
港北政務調査事務所

横浜市港北区新横浜
3-19-6 マ・シェリ704号

市会控室
横浜市中区港町1-1
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